記憶用資料
1920年:水島の誕生
愛知県名古屋市に生まれる。
父は小学校教師、母は裁縫師。家庭は中流。
幼少期から歴史や宗教に興味を持つ。
名古屋高等商業学校(現:名古屋大学経済学部)に進学。
1940年:大学卒業と徴兵
戦時体制下で大学卒業後、学徒出陣の対象となり、陸軍少尉として招集。
語学(インドネシア語、オランダ語)が得意だったため、南方戦線の通訳要員として選抜される。
ジャワ島に派遣され、占領政策の一環として現地行政と協力する任務に就く。
1942年:バリ島進駐と戦闘
日本軍はバリ島を占領し、水島も軍政に従事。
現地住民と協力する任務を任され、バリ文化や現地宗教に触れる。
オランダ軍残党や地元ゲリラとの衝突が続く。
1945年8月:日本の敗戦とオランダ軍の反攻
8月15日、日本が降伏。
バリ島では日本軍が混乱し、水島は地元の協力者とともに撤退を計画。
オランダ軍がバリ島を再占領し、日本軍残党を一掃しようとする。
バリ島各地でインドネシア現地独立派勢力との武力衝突が発生し、水島は現地兵士と共にオランダ軍と戦うことを決意する。
1946年:ペニダ島への逃走
義勇軍としてインドネシア現地独立派勢力と共にオランダ軍と衝突。
オランダ軍が勝利し、バリ島の日本軍残党や独立運動家を逮捕。
逮捕後、流刑地であるペニダ島の捕虜収容所から逃走。
脱走後、戦闘での負傷と厳しい環境での生活を強いられ、食糧不足や病気に苦しむ。
その中で、水島は現地の原住民による、密教的な思想に触れる。
1947年:「ムクティ・カヤ」との出会い
地元の原住民の手引きで、密林へ逃げ込む。その先で、ランガ族とムクティ・カヤに遭遇。
最初は警戒されるも、語学力と現地文化への理解を活かし受け入れられる。
洞窟寺院の存在を知り、輪廻の湖や神孵の実に出会う。
水島は密教の儀式を学びながら、肉体の回復のため神孵の実を摂取し始める。
1947年-1950年:教団への適応
水島は日本軍人としてのアイデンティティを捨て、儀式を経て「プララヤ・ミズシマ」の名を授かる。
神孵の実を摂取し続けることで、肉体の老化が止まることを実感。
教団の教義を学び、「輪廻転生」の思想に深く傾倒する。
1950年-1970年:教団内での影響力拡大
インドネシア共和国の独立を持ってバリ島は共和国に組み込まれる。
その頃、水島は教団内で指導者層に近い地位を得る。
「魂の座(Taksu Raga)」の儀式の監督役(グル)を担うようになる。
教団の外部との関係を完全に遮断し、洞窟寺院内での生活に専念。
1970年:最高指導者に就任
最高指導者のアチャリヤであったアグン・プラブ・スワンダが儀式により輪廻の湖へと還る。
その後、儀式にて利き手を供物にすることで、最高指導者である「アチャリヤ・ミズシマ」となる。
1975年:外部からの接触
我々がバリ島の宗教研究のため訪れ、ミズシマと偶然接触。

