記録006

記憶用資料


1975年7月20日 – 禁忌の教えと語らい

密林の奥での滞在も数日が経ち、私と研究生たちはこの場所に流れる独自の時間感覚と、宗教的な空気に徐々に身体と心を慣らしていった。しかし、ミズシマが語った「ムクティ・カヤ」の教えには、我々の常識や倫理観では測れぬ重さと、どこか背筋の凍るような神聖さがあった。


「罪」とされる魂たち

ある夜、ミズシマは私たちを焚火の前に呼び、静かに語り始めた。話の内容は、ムクティ・カヤにおける「罪」についてであった。

この教義において最も重い罪の一つは、「転生腐蝕(てんしょうふしょく)」と呼ばれている。これは、現世において功徳を積むことを放棄し、他者との関係を断ち、孤立と無為のなかに沈み込んだ魂が、次なる輪廻を拒絶される状態を指す。彼らの魂は「重さを失った蓮の葉」のように湖面から滑り落ち、次の肉体に迎え入れられなくなる。

さらに恐ろしいのは、「純魂冒涜(じゅんこんぼうとく)」という罪である。特に子供の魂を穢す行為――暴力、支配、所有――これらは輪廻の中枢を破壊する最大の冒涜とされ、神そのものへの反逆とみなされる。


儀式の名はアートマ・ヴィマッチャヤ

このような罪を犯した者には、「アートマ・ヴィマッチャヤ(魂の切離しと再配置)」と呼ばれる断罪の儀式が課されるという。

その内容は、我々の目からすれば、まさに“宗教の名を借りた処刑”にも見えるが、ミズシマにとってそれは「救済であり、奉仕であり、再生の始まり」であるという。

儀式では、罪を犯した者の肉体の一部が摘出され、高徳者へと「再分配」として奉納される。そして残された肉体は、オーガスタの葉に包まれ、輪廻の湖へと沈められる。その魂は個としての再生を許されぬが、未来に生まれる他者の魂の“触媒”となり、微細な徳を伝える源となるのだという。


「百年近く罪人は出ていない」

ミズシマはこのように付け加えた。

「だが、私の知る限りこの百年近く、罪人など出ていない。輪廻の湖が静かに保たれているということは、それだけ我々が善徳を保っているということだ。」

その声は落ち着いていたが、どこか遠い過去を見つめているような色を帯びていた。


クローダ ― 森の怒り

話題が変わると、ミズシマの表情がわずかに厳しくなった。

「だが今、森が傷ついている。開発の手が、南から島に及び始めている。伐採が始まっている。」

彼は続けて、「クローダ(Krodha)」という言葉を口にした。これは神の怒りを意味し、森が破壊され続ければカーラ・ムクタの意思により、自然が災厄をもたらす――そうランガ族は信じているのだという。

この話を聞いた研究生も、言葉を失っていた。私たちは人類学者であると同時に、日本という先進国の民であり、無数の「開発」の名のもとに多くのものを破壊してきた存在でもある。森と神と魂が、ここでは確かに一本の線でつながっていた。














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