記録002

記憶用資料


1975年7月5日 – スカマデ村での滞在開始

ペニダ島に到着した翌朝、我々はタマンサリ・レワ密林の入口にあるスカマデ村へ向かった。ここは約200人が暮らす小さな村で、外界との接触が少なく、独自の生活様式と信仰を守り続けている。村へ向かう道は未舗装で、港から徒歩で約2時間かかる。暑さと湿気の中、竹林を抜け、小さな川を渡るうちに、村の輪郭が見えてきた。

村の家々はバリ本島の伝統建築に似た高床式住居で、屋根は椰子の葉で覆われ、風通しを考慮した造りになっている。住人の多くは農業や手工芸、薬草採取を生業とし、時折、市場へ出向いて物資を交換することもあるという。外部からの訪問者は少なく、特に私たちのような研究者が長期滞在するのは異例だ。

長老に挨拶すると、彼は我々の訪問を歓迎するが、「密林には掟がある」と念を押した。それは、森の奥には無断で立ち入らないこと、動植物を無闇に傷つけないこと、特定の場所には決して近づかないことなどだった。この密林は単なる森ではなく、村の人々にとって神聖な領域である。


1975年7月7日 – 密林の奥へ

スカマデ村での滞在が始まり、村人との交流を深める中で、我々は密林の奥にある「割れ門(チャンディ・ブンタール)」の存在を知った。これはヒンドゥー文化圏で見られる門の一種で、神聖な領域の入り口を示すものだという。村人によれば、この門を越えた先には、密教の寺院があるという。
特に興味を引かれたのは、村人たちが語る奇妙な話だった。

「あの寺院には、大東亜戦争の時にこの島に残った日本人がいる。」

戦争が終わって30年近く経つ今も、日本人がこの地で生きているとは信じがたい話だった。しかし、村人によれば、その人物は外界とほとんど接触せず、限られた信徒のみが年に数回、寺院から降りてくるのだという。彼らは、密林の奥で独自の価値観に基づいた生活を送り、村の人々ですら滅多に近づかない存在だった。

この話に関心を持った私たちは、村人の案内のもと、割れ門の近くまで足を運ぶことにした。


1975年7月9日 – 割れ門の前で

朝早く、村人の案内で割れ門(チャンディ・ブンタール)へ向かった。スカマデ村から歩くこと約1時間、密林の奥にひっそりと佇むこの門は、苔むした石造りで、左右対称に割れたような形をしていた。バリ本島のヒンドゥー寺院で見かけるものと同じ形式だが、装飾はシンプルで、長年の風雨にさらされた痕跡がある。

門の向こうは深い森が広がり、昼間でもひんやりとした空気が漂っていた。村人はこれ以上進むことを拒み、「ここから先は我々の領域ではない」と言い残して引き返していった。

私たちは村人の助言を尊重し、これ以上の侵入は控えた。しかし、ここに確かに何かがある。割れ門とその存在の意味、そして越えた先の密林には、30年もの間、外界と隔絶された日本人が暮らしている可能性があるのだ。

彼らは、どのような信仰を持ち、どんな生活を送っているのか?私たちの調査は、新たな段階へと進もうとしていた。













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